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ほぼ雑記、日記。思いついたこと、気になること、ニュース、小説、音楽、ゲームなどなどてけとーに書いていきます。

汝大学生たるや?

 

難関大学に合格するような学生は良い学生が多いらしい

 

 

どうもこんばんは、僕です(´・ω・` )

 

いきなりなんぞやと思うかもしれませんが、こう見えて僕は予備校で働いています。それで、よく聞くんですね、上のような話し。東大やら京大やらに行くような学生は、必ずしも根暗で陰険なガリ勉ではなく、むしろ挨拶ができたり規則正しい生活を送るような、

「良い」学生が多いそうです。

 

 

それでまあこの事を考えていたわけではないのですが、風呂に入ってると閃きまして。

流石にエウレカエウレカと素っ裸で走り回るほどのことではないのですが、少し備忘録がてら思いついた事をここに書いておこうかなと思います。

 

 

そもそも大学に合格するためには何が必要でしょうか?試験で良い点を取る、面接や小論文をこなすなど、昨今様々な方法がある訳ですが、僕は少しこの方法に固執し過ぎていたなと思いました。

 

確かに良い大学に入るためには試験で良い点を取る必要があります。それもめんどくさい問題をいくつも解いてです。しかしそこで大学側が見定めているのは点数だけでしょうか。僕は、恐らく「本質」的にはその大学に入学できる資格があるかどうかという部分が試されているのだと思います。

 

試験で良い点を取るためには学力が必要です。そしてその学力を身につけるためには相応の努力が必要でしょう。その努力を積み重ねることができる、学力がある学生というのが大学にとって求めている人材であり、入学資格のある学生ということになると思います。つまり大元をたどれば、大学受験で試されているのは入学に値する資格を持つ人材かどうかということであり、試験やら面接やら小論文やらはあくまでその手段ではないでしょうか。

 

こう学生と模試の点数とか偏差値とかとにらめっこしていると、試験で如何に点数を取れるかということに注目しがちな訳ですが、それはそもそも手段と目的が逆転しているんですねえ。模試で点数が取れないのはそもそも要求されている水準に達していないのであり、やれ英語が苦手だ物理が苦手だとか、そういうことではないのかもしれません。苦手科目がある時点で努力が足りていなかったり、勉強方法を見直すことが出来ていなかったりと、入学できる資格に見合わない状況なんだと思います。

 

 

ゆとり世代がどうとかではありませんが、やれテストだ模試だと義務教育から試験が氾濫している昨今、僕らは気が付かないうちに点数ばかり気にして、高得点を取ることが唯一の目的だ、これが受験だと思ってしまっているのかもしれません。しかしそれはあくまで手段。本質的に見定められていることは

お前はウチに来る資格があるのか?ということですから、それに気づかず点数に固執してしまうと伸び悩んだりするのかなと思います。

 

最後に、僕は小説家で飯を食いたいです。しかし今現在、僕が小説家と世間から認められる資格はないでしょう。なぜならそれに見合った努力をしていないし、結果を出せていないからです。新人賞に応募して受賞してないとか、そういうことではないんだなあと思います。まずは表現者として生きる。評判や肩書きは後からきっとついてくる筈です。

 

この閃きを仕事に活かしつつ、己の野望の実現にも役立てていきたいですね、それではアデュー(´・ω・` )ノ